お笑いコンビ「オードリー」の若林正恭さん。
今や司会やラジオ、CMに出演、書籍も出すという多才で大人気な芸人さんです。
そんな若林さんの人生に大きな影響を与えた人物として、父親の大きな存在があります。
今回は、若林正恭さんの父親について、その波乱万丈な人生と、息子に与えた影響を詳しく見ていきましょう。
若林正恭の父親は8回のクビ経験と喫茶店経営の過去
若林正恭さんの父親は、一風変わった経歴の持ち主でした。
なんと、会社を8回もクビになった経験があるのです。
その理由は、驚くべきことに「サボり」癖でした。
具体的なエピソードとしては:
- 営業車で自宅前に駐車し、自宅で昼寝→社長に見つかってクビ
- 朝まで麻雀をして仕事を休む
このようなサボり癖が原因で、転職を繰り返すことになったのです。
若林さんは、いつもお父さんが家にいるなと子供ながらに違和感を感じていたとか。
しかし、父親の経歴はそれだけではありません。
若林さんが生まれる前、22歳から23歳頃には「喫茶はやし」という喫茶店を自宅で経営していたのです。
興味深いのは、店名が「喫茶わかばやし」ではなく「喫茶はやし」だったこと。
さらに、若林さんの祖母も隣で「食堂はやし」を営んでいたそうです。
なぜやめてしまったんですかね。
なんとなくですが、若林さんのお父さんは面白そうな方っぽいので、喫茶店を続けていたほうがよかったような気がします。
父親の生き方が若林に与えた影響と教訓
父親の波乱万丈な人生は、若林さんに多くの影響を与えました。
特に印象的なのは、父親の闘病生活を通じて学んだ教訓です。
長期間の入院生活を経て外出許可が出た父親が、本を持ってロイヤルホストに行った際の喜びを見て、若林さんは気づきを得ました。
「ロイヤルホストで本を読むことって、こんなうれしいことなのか」
この経験から、若林さんは以下のことを学んだそうです:
- 日常の小さな楽しみの大切さ
- 他人の楽しみを否定しないこと
- 友人との時間の価値
特に、若林さんのことばで私が印象的だったのは、
今の世の中って、人より優位に立ちたいとか、いろんなマウンティングをしてるけど、それで勝ったものって、あの世に持っていけないんだなってこと
引用:週刊女性PRIME
だから、友人との時間は大切にしたいと話していました。
とても素敵な考えですよね。
また、父親が阪神タイガースのファンだったことも、若林さんに大きな影響を与えたそうです。
若林さんは、阪神タイガースが低迷していたとき、周りから馬鹿にされるのが嫌で、近鉄を応援するようになりました。
しかし、初めて見に行った試合でノーヒットノーランで負けたことがショックで、負けばかりの人生は嫌だとお父さんに訴えたそうです。
そこで「勝つことの難しさを学ぼう」という父親からの言葉が、若林さんの人生観を形成する重要な教訓となりました。
若林家の家計事情と父親の存在感
そんな父親の度重なる転職は、若林家の家計に大きな影響を与えました。
若林さんは子供の頃、父親が家にいる時とそうでない時で、食事の内容が変わることに気づいていました。
父親が家にいる時:
- ウインナーとご飯だけ
- 豆腐とご飯だけ
- 「ふりかけ禁止令」が出される
父親が家にいない時:
- おかずが増える
これは、お母さんの静かな抵抗だったのでしょうか。

しかし、そんな苦労人の父親も、若林さんのために頑張っていました。
若林家が久我山(杉並区)に引っ越した際、若林さんを日大二中に通わせるため、サラリーマンとして懸命に働いたのです。
きっと働くことが嫌いだったお父さんも、息子のためならと頑張ったんですね。
若林さんのお父様は2016年に亡くなられていますが、若林さんにとって今でも大きな存在なのがわかります。
まとめ
若林正恭さんの父親は、8回ものクビ経験や喫茶店経営など、波乱万丈な人生を送りました。
その生き方は、若林さんに多くの影響と教訓を与えました。
日常の小さな楽しみの大切さ、勝つことの難しさ、そして家族のために懸命に生きることの意味。
これらの教訓は、若林さんの人生観や価値観を形成する上で重要な役割を果たしたのです。
父親との思い出は、2019年のオードリー武道館ライブでも漫才のネタとして披露され、若林さんの最高傑作と言われています。
波乱万丈な人生を送りながらも、息子に大切な教訓を残した若林さんの父親。
その存在は、若林さんの人生に深く刻まれているのです。
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