人気俳優の西島秀俊さんは、その演技力と存在感で多くのファンを魅了し続けています。
しかし、彼が俳優になる前に難関国立大学に通っていたことをご存知でしょうか。
今回は、西島さんの学生時代から俳優デビューまでの興味深い経緯をご紹介します。
西島秀俊の学歴:横浜国立大学工学部から中退へ

西島秀俊さんは、東京都八王子市出身で、桐朋高等学校を卒業後、横浜国立大学の工学部生産工学科に進学しました。
横浜国立大学は難関の国立大学として知られ、特に理系の学部が高く評価されています。
大学では工学を学んでいましたが、西島さんは次第に自分の進路に疑問を感じるようになりました。
「大学で工学部に入ったんですけど、なんか違うかなと思って」と後に語っています。
高校時代、西島さんはバスケットボール部に所属し、仲間たちと活発に活動していました。
大学でも理系の学部に在籍していましたが、意外にも国語の成績が良かったことが、後の俳優への転身のきっかけとなったようです。
俳優への転身:大学在学中のオーディション合格がきっかけ
大学1年生の時、西島さんは映画に興味を持ち始めます。
「映画に関わりたい」と周囲に話していたところ、高校の先輩からオーディションを勧められました。
そのオーディションに合格し、東京アクターズスタジオの第1期生となったことが、西島さんの俳優としてのキャリアのスタートとなりました。
ですが大学在学中に俳優の仕事が入るようになり、授業との両立が難しくなったことが、中退を決意するきっかけに。
西島さんは後に、大学生活について「授業が厳しく、通学に往復4時間かかることもあって、次第に大学に行かなくなり、俳優業に専念するようになった」と述べています。
また、大学時代にはアルバイトとして中学生の家庭教師をしていたこともあり、学業と仕事を両立させる努力をしていました。
親の反応は「一切援助はしない」勘当も覚悟を決めた西島

西島さんが俳優になると決意し、親に報告したときの反応は厳しいものでした。
「すみません、俳優になります!」と伝えると、親からは「じゃあ、家から出ていきなさい、一切援助はしないんで一人で生きていきなさい!」と言われたそうです。

実際に、親からの援助は一切なかったようです。
西島さんは「今は感謝してますけどね。やっぱり覚悟は決まったんで」と振り返っています。
この厳しい状況が、彼の俳優としての決意をさらに固めることになりました。
西島さんの父親はエンジニアだったこともあり、息子が工学部を辞めると言い出したときは大変がっかりしたそうです。
しかし、父親が映画好きだったことで幼少期から映画に興味を持っていたことも、西島さんの進路選択に影響を与えたのかもしれません。
デビューから『あすなろ白書』で注目を浴びる
大学を中退した西島さんは、1992年にテレビドラマ『はぐれ刑事純情派5』で本格デビューを果たしました。


その後、1993年の大ヒットドラマ『あすなろ白書』で一躍注目を浴びることになります。
『あすなろ白書』では、他人に言えない恋心を隠しながら儚い笑顔を見せる役を演じ、多くの視聴者の心を掴みました。
この作品が西島さんを一躍有名にし、トレンディ俳優としてのキャリアを歩み始めたのです。


90年代後半からは活動の場を映画に移し、瀬々敬久監督『冷血の罠』(1998年)や黒沢清監督『ニンゲン合格』(1999年)といった作品で内面に葛藤を抱える青年役を多く演じ、演技力を磨いていきました。


2002年の北野武監督作品『Dolls』は、西島さんのキャリアの転機となる重要な作品に。
この作品で、自分のことを認識できない元恋人とあてもなく彷徨い続けていく青年を演じ、その繊細な演技が評価されました。


以来、西島さんは数々の話題作に出演し、多彩な役柄を演じ分ける実力派俳優として確固たる地位を築いたのです。
シリアスな役からコミカルな役まで、幅広い演技力を見せる西島さんは、今や日本を代表する俳優の一人となっています。
まとめ
西島秀俊さんの俳優への道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
難関国立大学を中退し、親の反対を押し切って俳優の道を選んだ彼の決断は、大きな勇気と覚悟を必要としたことでしょう。
しかし、その決断が今日の西島さんの輝かしい俳優キャリアにつながっていることは間違いありません。
彼の経験は、自分の情熱を追求することの大切さを教えてくれる素晴らしい例といえるでしょう。
これからも西島秀俊さんの活躍に注目し続けたいと思います。
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