人気アイドルグループtimelesz(旧Sexy Zone)のメンバーとして知られる菊池風磨さん。
その父親である菊池常利さんは、日本の音楽界で長年活躍してきた実力派シンガーソングライターです。
今回は、菊池常利の音楽キャリアと、息子・風磨さんへの影響について詳しく見ていきましょう。
菊池常利の音楽キャリアと代表作
菊池常利さんは、1989年にフォークデュオ「LA-LA Deux」として音楽活動をスタートさせました。
その後、ソロアーティストとしても活動を続け、多くのヒット曲を生み出しています。
特に注目すべきは、嵐のデビュー曲『A・RA・SHI』の作詞を担当したことです。
この曲は97万枚を超える大ヒットとなり、彼の作詞能力の高さを証明しました。


お父さん、若くない??
他にも、以下のような楽曲を手掛けています:
- 『Only One Song』(TOKIO)
- 『Nice Guys』(TOKIO)
- 『under world』(滝沢秀明)
- 『2nd face』(今井翼)
これらの楽曲は、ジャニーズ事務所のアーティストを中心に提供されており、菊池常利さんの音楽的才能が広く認められていることを示しています。
ちなみに、作詞のときは「J&T」という名義を使用しているそうですよ!
菊池風磨の幼少期と音楽環境
菊池風磨さんは、音楽に溢れた環境で育ちました。
彼自身、幼少期の思い出を次のように語っています。
「家の中では必ずギターが鳴っていて、親父が歌っていました。自然と音楽に親しむ環境が整っていたんです。」
この環境が、風磨の音楽への興味と才能を育んだと言えるでしょう。
幼い頃から父親の音楽活動を間近で見ていたことが、彼の将来の選択に大きな影響を与えました。
父親の影響で芸能界を志した菊池風磨


菊池風磨さんが芸能界入りを決意したきっかけは、父親の仕事と深く関係しています。
風磨さんは、あるテレビ番組で次のように語っています。
「親父が嵐の『A・RA・SHI』を書いたのが99年だったんです。僕が4歳の時です。そこで俺はもうバチっと思って。すげぇワクワクしたし、うれしかったし。そこから芸能以外の道を考えたことが無かったんです。」
この発言から、父親の成功が風磨に強い印象を与え、彼自身も芸能界で活躍したいという思いを抱くようになったことがわかります。
菊池父子の音楽性と絆
菊池常利さんの音楽スタイルは、フォークやポップスを基盤としつつ、時代の流行を取り入れたものです。
この多様な音楽性は、風磨さんの音楽活動にも影響を与えており、彼のパフォーマンスにも父親の影響が色濃く表れています。
父子の絆は音楽を通じてさらに深まっているようです。
2024年10月には、YouTubeチャンネル「よにのちゃんねる」に菊池常利さんが電話出演し、風磨さんとの掛け合いを披露しました。
その際、視聴者からは「声も笑い方もそっくり」「風磨くん2人いる?」といったコメントが寄せられ、父子の類似性に驚きの声が上がりました。



また、菊池常利さんは学校講演活動も行っており、若い世代に夢を持つことの大切さを伝えています。
この姿勢は風磨さんの音楽活動に対する真摯な態度にも反映されているようです。
まとめ
菊池常利さんは、単に有名アイドルの父親というだけでなく、日本の音楽界で重要な役割を果たしてきた実力者です。
彼の音楽キャリアと人生哲学は、息子・風磨さんに大きな影響を与え、風磨の音楽活動の基盤となっています。
父子で音楽を通じて強い絆を築き、それぞれが独自の魅力を持つアーティストとして活躍している姿は、多くのファンを魅了し続けています。
菊池風磨さんの今後の活動にも、父親から受け継いだ音楽への情熱が反映されていくことでしょう。
菊池父子の活躍は、音楽の力と親子の絆の素晴らしさを私たちに教えてくれています。
これからも、二人の活動から目が離せません。
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